1945年1月2日 | 中村達也(なかむらたつや) 栃木県大田原出身 |
大田原市立中学校卒業後 東京の高校に進学16歳でドラムを始める | |
クラブ・コンボ、フル・オーケストラ、での演奏後 今田勝(P)、菅野光亮(p)、沖至(Tp)等に在籍 | |
1974年 | ニューヨークに渡米、 ロイ・へインズに師事し腕を磨く |
1976年 | ファースト・アルバム(ソング・オブ・パット)トリオレコード |
レコーデング・メンバー | |
リチャード・ディビス(B) テット・ダニエル(Tp) オリバー・レイク(As) | |
1978年 | テット・ダニエル(Tp) ジョセフ・ボーイ (Tb) を日本に招聘し日本でコンサートを開催 |
1979年 | アルバム フェアーズQuater (CBSソニー)を制作日本でレコーデング後 再びニューヨークへ |
1981年 | ニューヨークにて「リップ・オフ」を制作 ビクターより発売 |
レコーデング・メンバー | |
ジョージ・アダムス(Ts) リチャード・ディビス(B)他 | |
1988年 | オレオをニューヨークにてレコーデング(CBSソニーより発売) |
レコーデング・メンバー | |
ジョージ・アダムス(Ts) ジョン・ヒックス(P) リチャード・ディビス(B) 中村達也(Dr) | |
1989年 | リチャード・ディビスを日本に招聘 佐藤允彦(P)今田勝(P)と東京でコンサートを開催 |
1990年 | ニューヨーク・ユニットとして毎年日本でコンサート・ツァーを行う |
ニューヨーク・ユニットはファラオ・サンダース(Ts)の共演 の「オーバザレインボー」 | |
1993年 | 他 ジョージ・アダムス(Ts)との「ブルー・ボッサ」 ハンニバル・マービン・ピターソン(Tp)「ナウ・ザ・タイム」 |
「灯り」 ジョン・ヒックス(P)リチヤード・デイビス(B)との「セント・トーマス」計8枚のCDをニューヨークユニットとして制作発売 | |
1995年 | 国際交流のため自己のグループでオーストラリア インドネシア コンサートツアー |
1998年 | ドイツで沖至(Tp)井上敬三(As)でコンサートツアー バラフォン等の打楽器を演奏 |
2004年 | 国際交流基金の提供で中村達也JAPAN JAZZ ユニットとして、 |
アフリカ、セネガル、モロッコ、トルコ、計8ヶ所のコンサートを行いすべての会場でスタンデング・オベションを受ける |
- - Personal profile of TATSUYA NAKAMURA- - TATSUYA NAKAMURA(Drums, Percussion ) In 1976, recorded the first album by himself. then back to Japan. In 1979, produced album "Quater"(CBS SONY) and moved to New york again. In 1988, recorded for "Oleo" withGEORGE ADAMS(saxphone) in New
york. From 1990 to 1998, Concert tour as "NEW YORK UNIT" around Japan once a year. NEW YORK UNIT Produced 8 CDs include "BLUE BOSSA" "OVER THE RAINBOW"withPHARAOHSANDERS(sax),"BESAME MUCHO"(recorded in 2003, in New york) In 1993, concert tour for Australia, Indonesia with Japanese musicians as cultural exchange. In 1995, concert tour for East Germany. (at that time)TATSUYAplay african percussionincludeBalaphone. In 2004, concert tour for Senegal, Morocco and Turkey asTATSUYA NAKAMURAGROUPbyJAPANFOUNDATION. |
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